My Tresure
心の支えになっている大切なもの子どもたちの 手作りの作品
末期腎不全の一番苦しかった時の支え
僕の宝物はたくさんあります。その中でも特に心に残り大切にしているもの。それは
「子どもたちのプレゼント」
末期腎不全になって、僕が最後に担当した子どもたちの作品です。苦しすぎて死を覚悟して、弱みを見せず全てを子ども達の教育に費やしていたあの時。誕生日パーティーでもらったサプライズプレゼントは僕に生きる勇気をくれました。
小学校生活ラストイヤー?
「長生きしてね」
子どもとしては、何気ない言葉だったかもしれない。でも、僕にとっては計り知れない有難い言葉!
「絶対戻ってきて、教師を続けたい!僕は子どもと関わってこそナンボ!僕の全てを教えたい!」
リアルに今僕がこうして教師を続けているのも、子ども達に全力で関わり、全力で応えてくれた子ども達、理解あるそして最後まで応援し続けてくれた保護者のおかげだと思います。今でも、そしてこれからも、ずっと大切にしていく僕の宝物です。
僕が腎移植手術前で怖くて仕方なかった時、たくさんのlineメッセージが届きました。教え子達のメッセージです。僕が人生において心から怖くなり、心から泣き、心から勇気をもらえた日になったことは言うまでもありません。僕は一生この時のことを忘れることはないでしょう・・。
手術1日前を読んでください
長年教員を続けていると、教え子達も大人になり、対等で人生について語ることも少なくありません。5・6年をたくさん担当させていただいた僕もたくさんの教え子達が巣立っていき、今でも交流は続いています。同窓会にも何度も呼んでいただき、僕の病気のことは知らせていました
やはり教師としての喜びの1つに子供の成長した姿が挙げられます。もちろん日々の成長の中で、一緒に笑い、声を出して、心を通わせt行ういつもの関わりは大好きです。教室という環境そのものが大好きです。良いことも悪いことも経験して、そんな子供達が巣立っていき、大人になった子供達と語り合う・・。子供達はみんな「先生!先生!」とこえをかけ、近況を嬉しそうに話してくれる。僕もそれに応えて楽しく会話する。そんな時間が大好きです。
「教え子はいつまで経っても僕の宝物」
僕は宝物の中で一生をかけて大切にしなければならいもの。それは家族。そして大好きな妻。僕が小さい時からずっと僕のために心血を注ぎ、大人になっても変わらず愛情いっぱいの家族。「親の心子知らず」とは僕のことかもしれません。
何不自由なく過ごし、ただただまっすぐ熱心に教師を続けていたら、家族の大切さにそこまで気づけなかったかもしれません。もちろん全くわかっていなかったわけではないです。
僕の病気が進行し、末期腎不全の末、自宅にて休職。そして母親より生体腎移植。僕が一生をかけて悩み抜き、決断し、生きている喜びを知った日。僕は一生をかけて親孝行をしなければいけないと思います。母へのプレゼント。こんなに笑ってくれた母を見たことがありません。僕の大事にしている写真です。(本人にも掲載許可を得ました)僕のサイトには腎移植への葛藤から、母親へのインタビューまで体験談を載せています。よかったらみて下さい。
腎移植「ドナーとして母の思い」
最後に、献身的に関わり、どんな時も笑い、付き添い、励ましてくれる妻。食べることが大好きな彼女の「食べログ」の写真も1000まいを超えました。僕も一緒に食べ、妻の笑っている顔をいつも見ていたいです。(もちろん掲載許可を得ました)
「一番身近な人を幸せにしないと誰も幸せにできない」
これからも一緒に笑って、泣いて、支え合って、大好きな妻を大事にし続けたいです。